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───家の片隅に、古いピアノがあったのを覚えている。今は誰も弾かなくなった、古ぼけたピアノ。
傍らに置かれた楽譜も、持ち主に合わせられたままの椅子も、何ひとつ場所ひとつ変わる事なく、ずっと、そこにあったピアノ。
覆いを取り、蓋を開き鍵盤に触れると、その音を耳にした誰かが必ず飛んできて、それを咎めた。幼い彼はピアノから遠ざけられ、鍵盤は再び閉じられ、また沈黙した。

まるでその音色が、何かを呼び覚ます事を恐れているかのように、家の中の誰一人として、そのピアノを弾く者はなかった。
そしてまた、そのピアノが家を去る事も、決してないと分かっていた───


◆ 2nd.Discovery 蜃気楼の少年


 2004年9月22日

───21日、シアトル・マリナーズのイチローはエンゼルス戦で5打数5安打の戦績をあげ、シーズン243本と自己記録を更新。ジョージ・ シスラーが 1920年に樹立したメジャーリーグ年間最多安打記録「257」まで、14と迫っていた。


■天香學園・3階廊下 午前 ─── 休み時間

チャイムが鳴るとともに、校内は一気に騒がしくなる。
「ねェねェ、今の地学の授業だけどさ、前回のノート写させてよ」「いいよ〜、その代わり、後で『マミーズ』のパフェ、あんたの奢りだからね」「ちょっとォ、高くない? せめてケーキとかさ───」
女生徒たちの、喧(かまびす)しい声が遠ざかって行く。
「・・・・・・」
九頭見 洸は、朝から不機嫌だった。
低血圧、それは違う。寝不足、そうかも知れない。しかし何より、彼の頭を痛めているのは、他ならぬ昨夜の事だった。
「ふァ〜あ、眠い。午前中から授業なんて出るもんじゃないな───」
それを知ってか知らずか背後から、のん気でけだるい声がする。クラスメートの皆守 甲太郎だ。
彼の独り言は続いている。
「仕方ない・・・後で保健室でひと寝入りするか。───よォ、転校生」
あくびをかみ殺したような声で、皆守は彼に声をかけてきた。
「どうだ? 授業は楽しいか?」
「あ〜・・・」
九頭見は苦笑して口ごもった。授業を日本語で進められる分には今のところ問題ないのだが、彼が滅入ったのはそのノリだった。淡々と、あるいはボソボソと、ノートの内容を読み上げて板書するばかりの教師。そのノートも何十年間、同じ物を使い続けているのだろうかという代物だ。なかには、授業中いちども生徒を見ないという大ベテランまでいる。内容といい教え方といい、かなりのレベルダウンだ。
「浮かない顔だな」
それを察したか、皆守は唇をうすく歪めて笑った。
「まァ、教師もサラリーマンだ。過大な期待はしないこった」
「そうだね・・・」
「そうだ。そういや、八千穂から聞いたんだが・・・」
言いかけて、皆守はアロマパイプを持ち直した。
「お前、《宝探し屋(トレジャーハンター)》なんだって?」
「─────ッ!!」
意表を突かれ、九頭見はハデにずっコケて正面から壁に激突した。新喜劇ばりのリアクションに、驚いたのは皆守の方だ。
「何、コケてんだよ・・・」
「いや、だって・・・!」
無意味に壁に張り付いたまま反論する九頭見である。ビックリして固まっている猫に似ていなくもない。
そのさまに珍しく目を丸くしていた皆守だったが、すぐにいつもの顔に戻って嘯いた。
「八千穂に見つかったのが運の尽きだったな。まァ、お前が何であれ、俺には関係のない事さ。誰でも、人にいえない秘密のひとつやふたつあるもんだ。俺には、そいつを誰かに喋る趣味はないから、安心するんだな」
皆守はポケットを探りながら、さらに続けた。
「まァ、んなことより、お前ら今日も《墓地》に行く───」
何か言えたのは、そこまでだった。
「きゃァァァ!!」
「─────ッ!?」
鋭く響いた女生徒の悲鳴に、皆守も、そして九頭見もハッとして、声のした方角を探した。先に動いたのは、皆守だった。
「音楽室の方からだな。行ってみよう」
「OKッ」
そのただならぬ気配に、ふたりはほぼ同時に階下へと走り出していた。

「あ・・・あ・・・」
2階の踊り場に、わなわなと震える女生徒が倒れ込んでいた。へたりと座り込み、一方向を指差している。
「おい、どうした?」
皆守が訊ねると、彼女はただただ同じ方向を指差し、つぶやいた。
「お・・・音楽室に・・・」
「・・・・・・」
先に立って音楽室の扉に近づいたのは、皆守だった。それに続いた九頭見が注意深く半開きの扉に手をかけ、そして勢いよく開け放った。
薄暗い室内に皆守が目を凝らす。
「ん? 誰か倒れているな」
彼らに気づいたらしい、女生徒の細い声が聞こえた。
「助けて・・・」
九頭見は黒板を背にして室内に踏み込み、すばやくその場所を確認した。
「どうした!? 大丈夫か!?」
彼は注意深く彼女に近づきながら声をかけ、そして助け起こした。女生徒が震え声で呟く。
「手・・・あたしの手が・・・」
「─────ッ!?」
同様に覗き込んだ皆守も、グッと言葉に詰まった。
「こいつは・・・」
───彼女の手はふたつとも、まるで老婆のように、いや、あたかもミイラのそれのように細く萎び、枯木のごとく乾ききっていた。
「あたしの手・・・あたしの・・・」
「手が干からびている・・・」
ぼう然と呟く皆守をしり目に、九頭見は咄嗟に、周囲を伺っていた。ガス、薬品、あらゆる可能性を想定し、感覚を総動員してその痕跡を探した。だが・・・何もなかった。───だいいち、命に別状がないまま手だけがミイラ化するなどという事例は、想定外だ。
「何があった?」
皆守が彼女に詰問している。
「誰かが音楽室にいて・・・。あたしに飛び掛かったと思ったら、突然そこの窓から逃げ出して」
「この窓から?」
そう言って皆守は立ち上がり、彼女が指した窓を見た。この場所から、やや距離がある。───しかも、ここは校舎の2階だ。
「まるで猿だな───」
「うう・・・」
苦しそうに身をよじる彼女に、皆守はなおも問うた。
「どんな奴だった?」
「わからない・・・わからない」
そう言って彼女は、手で顔を覆った。いや、その手を目にして、再び戦きはじめた。その彼女へ、皆守がさらに詰問する。
「思い出せッ。どんな奴だった?」
「化け物・・・、化け物がァァァ───」
そこまで言って、彼女はとうとう恐慌をきたした。
「ああァ、あァァァッ!!」
「───よせ皆守、これ以上は無理だ!!」
「ちッ」
九頭見の制止に、皆守は舌打ちした。
「おい、転校生。とりあえず、この女を保健室に運ぶぞッ」
「了解(Roger)ッ」
即答して、九頭見は彼女を抱え上げた。───が、学生服の上着を脱いで、彼女の手を覆い隠す事を、忘れなかった。


■1階───保健室

「おい、急患だ。いるか、カウンセラー?」
保健室の扉を開け放った皆守が叫ぶ。答えはない。
「おいッ、いないのか!!」
「・・・・・・」
奥へと駆け込む皆守と入れ替わるように現れたのは、校医ではなく、青白い肌の男子生徒だった。彼は、入り口に立つ九頭見を認めて、低く呟いた。
「そこをどいてくれ・・・」
「あァ、すまない」
九頭見は慌てて、進路を開けた。
「ありがとう・・・」
男子生徒は聞こえるか聞こえないかの小さな声で礼を言い───、それからようやく、相手の顔に見覚えがないのに、気づいたようだった。
「君は・・・・・・誰だ?」
「3−Cの、九頭見 洸。」
「九頭見 洸? そうか・・・・・・君が転校してきたという───」
男子生徒が呟いたその時、皆守が戻ってきた。
「何だ、A組の取手(とりで)じゃないか。また保健室でサボってたのか?」
「僕は、別にサボっている訳じゃないよ。最近、割れるように頭が痛くなるんだ。気を失うぐらいに激しい痛みがして。だから、保健室に薬をもらいに」
「そうか」
皆守が頷き、それから、九頭見と彼とを見比べるようにした。
それを見て、男子生徒が呟くように言った。
「僕は、3−Aの取手 謙治(とりで かまち)。皆守君とは、よく保健室で会う内に話すようになって。───といっても、僕はルイ先生に心理療法(カウンセリング)をしてもらいに来ているだけで・・・」
「・・・・・・」
取手の言葉に、九頭見はチラと皆守を見た。先ほど『眠いから保健室のベッドでひと寝入り』と嘯いていたのを思い出したのだ。取手だって、そんな皆守と同類だとは思われたくないだろう。いっぽう皆守は、知らん顔をするばかりだ。
「・・・そういえば、気になっていたんだけど」
そこで、取手がおそるおそる、訊ねた。
「その女子・・・、どうかしたのかい?」
「あッ、あァ。新たな犠牲者さ。前回、《墓地》で行方不明になった男子生徒に続いてな。誰だが知らないが、酷い事をするぜ」
「・・・・・・」
取手はその言葉に不安そうな顔をしたが、これ以上自分がここにいても仕方がないと思ったのか、呟くように二人に言った。
「・・・・・・それじゃ、僕は行くよ」
「たまには屋上で太陽にでも当たれよ? お前、顔色悪いぜ?」
皆守が、長身の割にやけにすぼめた取手の背中にそう声をかけたが、返事は返ってこなかった。皆守が舌打ちする。
「大丈夫かよ、取手の奴・・・」
そこで九頭見は、彼の背中に見覚えがある事にようやく気づいた。───八千穂に校内を案内してもらった昨日の昼休み、薄暗い音楽室で照明もつけず、黙ってピアノの前に佇んでいた影。あれだ。
「───っと、そうだ。こうしている場合じゃない」
我に返ったのは、皆守が先だった。
「まずは、この女をベッドに寝かせなきゃな。おいッ、カウンセラーッ!! いないのかッ!!」
「騒々しいな。そんなに大声を出さないでも聞こえている」
凛とした声が、保健室の奥から響いた。見ると、スレンダーな白衣の女が悠々と椅子に腰かけ、煙管をくゆらせている。
「カウンセリングをお望みかい? また後にしてくれ」
ぬばたまの黒髪を長く伸ばした、どことなくマニッシュな印象の、なんとも凄みのある美人だ。
「こっちは、いい気分で一服していたところなんだ」
切れ長の眼で微笑んで、手にした煙管を傾ける。その彼女へ、皆守が毒づいた。
「いるなら返事ぐらいしろよ」
「いちいちうるさい坊やだな。病人なら、奥の空いているベッドに寝かしておくといい。煙草(こいつ)を吸い終わったら、診てやろう」
悠長なその言葉にカチンときたのは、九頭見の方だった。
「───Doctor、急患(emergency case)と申し上げました。急いでお願いします」
九頭見の語調のキツさに、彼女はあきれたように肩をすくめた。
「やれやれ、わかったよ、すぐに診ればいいんだろ? ・・・・・・っと。誰だ、君は?」
目を丸くする彼女に、疲れたように皆守が切り返した。
「うちのクラスの転校生だ。職員会議で聞いてないのかよ?」
「ああ、そういえば、昨日の会議でそんなような事をいっていたな・・・・・・。確か名前は───」
「九頭見 洸です。3−C、雛川先生のクラスになりました」
「そうそう、九頭見 洸」
すばやく自分から名乗った事で、彼女は彼に、好印象を持ったようだった。
「誰かと違って、目上の者に対する口の利き方ができているじゃないか」
「・・・・・・」
その《誰か》らしい皆守がムッとした顔をする。
「礼をわきまえている生徒は大好きだよ」
そう笑って、彼女はなおも続けた。
「私の名前は、劉 瑞麗(リュウ・ルイリー)。広東語の正式な名前は、ソイライだが、みなは大概、ルイと呼んでいる。中国の福建省から、去年、この學園に赴任してきたばかりでな。學園専属の校医と、臨床心理士(カウンセラー)をやっている。怪我がなくても、何か悩み事があればいつでも保健室に来るといい。私が、やさしく手ほどきしてあげようじゃないか。フフフッ」
「は、はい・・・お願いします」
九頭見が素直に頷くと、彼女は満足そうに微笑んだ。
「君たちの心身状態を管理するのも私の仕事だ」
「───んなこと話してる場合じゃないだろッ!!」
そこで、とうとうしびれを切らしたのが皆守だった。
彼は、九頭見が抱えたままの女子生徒を指しつつ、彼女にかけられていた学生服を取った。
「こいつを見ろよ、手が干からびてて───」
「なるほどな」
「・・・・・・」
瑞麗が簡単に診察をする間、九頭見も、そして皆守も何も言わなかった。
ややあって、瑞麗は息をつくように顔を上げた。
「まるで枯木だな・・・。精氣が吸い取られているかのようだ。どこで見つけたんだ?」
「音楽室に倒れていたのさ」
「音楽室に? そうか・・・・・・」
皆守の答えに、彼女はなぜか考え込むような顔をした。それに目ざとく気づいた皆守が訊ねる。
「何か知ってるのかよ?」
「いいや」
瑞麗の即答に、皆守はふんとつまらなそうに鼻を鳴らした。それを受け流し、瑞麗は冷静な声で告げた。
「君たちは授業に戻れ。後は私に任せておくといい」
「・・・そうだな」
答えたのは、皆守だった。
「保健室に運んだだけで十分だろう。これ以上関わって、俺たちも厄介な面倒事に巻き込まれるのはゴメンだしな」
余計な一言に、瑞麗はチラと目をすがめたが、それ以上は何も言わなかった。皆守が切り上げる。
「じゃ、後はよろしく頼むぜ」
「ああ」
「じゃあな」

九頭見は、皆守に促されて保健室を出た。壁の時計にチラと目をやった皆守が呟く。
「さてっと、そろそろ昼休みだ。保健室が使えない以上、俺は屋上で昼寝でもするかな・・・。じゃあな、転校生───いや、」
面倒そうに伸びをしかけた皆守は、ふと思い出したようにこちらを見据えた。
「九頭見 洸。」
「・・・・・・!」
「お前となら、何か上手くやっていけそうな気がするぜ。・・・そうだ」
そう言って、皆守は自分の連絡先を九頭見に渡した。
「俺も気が向けば、お前の夜遊びに付き合ってやるよ」
九頭見が何か言おうとした時、昼休みのチャイムが鳴った。皆守が続ける。
「《墓地》に行く時には教えてくれ。じゃあな───」


 ───音楽室に倒れていた女生徒の事は、またたく間に校内に広まった。
 「呪いだ・・・」「次は誰が・・・」
 当たり前のように囁かれるそんな声に、九頭見は、不快な違和感を覚えていた。


■天香學園・中庭 ─── 放課後

夕暮れの中庭を、九頭見は皆守と連れ立って寮へと戻っていた。
遠くで、鴉が鳴いている。グラウンドでは陸上部の部員たちが、練習に汗を流している。
都会の喧騒が、散漫なホワイトノイズとなってかすかに聞こえてくる。
「そうだ、」
陸上部員の熱心さを揶揄していた皆守が、不意にそういって顔をあげた。
「寮に帰る前にマミーズにでも寄っていくか。さすがに腹が減ってきたしな」
「ん、そうだね───」
そんな会話を交わしていた、その時だった。
くぐもった、しかしせっぱ詰まった声が、彼らの耳に届いた。
「やッ、やめろッ!!」
「ん・・・?」
皆守が夕暮れの奥へと目を向ける。声は、続いている。
「僕に近寄るなッ。あっちへ行けッ!!」
「───この声は取手?」
皆守が、アロマパイプを噛むようにして呟いた。声はなおも叫んでいる。
「《砂》だ・・・、《黒い砂》だ・・・」
おかしい、と九頭見は思った。誰か他の人間に向かって言っている雰囲気ではない。強いていえば───。
「やめろッ。こっちに来るなッ!! やめろォォォッ!!」
思わず声のする方へ九頭見が一歩を踏み出した時、取手が髪を振り乱すようにして駆けてきた。
「はァ・・・はァ・・・」
「ちょっと待って!」
立ちはだかるようにして呼び止めた九頭見にようやく気づいたように、取手は顔を上げた。
「あッ、君は・・・」
そう言ってから、彼は無理に自然な顔を作って九頭見に挨拶した。
「こッ、こんにちは」
「どうしたんだ、取手? 何かあったのか?」
彼とその背後を見比べるようにして、皆守が訊ねる。しかし、取手の答えは意外なものだった。
「何がだい?」
「何が・・・って、今、慌ててこっちに駆けてきたじゃないか。向こうに誰かいるのか?」
「いいや・・・誰もいないよ。何でもないんだ。心配してくれてありがとう」
「誰もいない───?」
オウム返しにその言葉を呟いてから、九頭見はためらいがちに取手に言った。
「まぁ・・・君が何でもないっていうんなら・・・それならいいけど」
「・・・・・・」
取手は答えない。それへ、皆守が続けた。
「まァ、お前の事情だ。お前が何でもないっていうならそれでいいさ。俺には関係ない事だしな」
「・・・・・・」
その言葉にも、取手は答えなかった。代わりのように割り込んだのは、元気のいい女生徒の声だった。
「あれ? みんなで何してんの?」
見るとそこに、テニスルックの八千穂が立っている。
「ヘヘヘッ」
「八千穂ッ」
皆守が驚いて声をあげたが、いたのは彼女だけではなかった。
「こんなところに集まって何をしているんだ?」
そう言って微笑んだのは、保健室にいた校医───瑞麗だった。
「カウンセラー・・・。何で、お前らが一緒に?」
うさん臭そうに皆守が呟くと、屈託のない笑顔で八千穂が説明した。
「玄関で靴を履き替えていたら、丁度、ルイ先生に会ったんだ」
その後を引き受けるように、瑞麗が笑んだ。
「授業が終わったら、真っ直ぐ寮に帰った方がいい。どうやら、この學園には化け物が出没(で)るらしいからな。フフフッ」
意味あり気なその笑みに、早速、八千穂が反応する。
「化け物って、2年の子を襲ったっていう?」
「───と、生徒たちは噂しているようだな」
「ふんッ」
瑞麗のさらりとした受け流しに、舌打ちしたのは皆守だ。
「化け物だの幽霊だの、下らないぜ」
「でも、襲われた子が見たって・・・」
おずおずと反論する八千穂を、皆守はあっさり切り捨てた。
「どうせ錯覚さ」
「え〜」
不満そうな八千穂へ、それ以上に不審そうな顔を向けたのは皆守だ。
「それより、お前、部活じゃないのかよ」
「今日は早く上がったんだ〜。だってほら、墓地探検に備えていろいろ準備とかあるじゃない?」
「本気で行くつもりかよ?」
「あったり前でしょッ」
あぜんとする皆守と、不用意な発言に内心あたふたする九頭見をよそに、八千穂はさも楽しそうに続けた。
「こんな面白そうな事、見逃す手はないし。ね〜九頭見クン」
「『ね〜』って、八千穂・・・。俺、パス希望・・・」
九頭見はしぶしぶだがそう答えた。
「マミーズのパフェとかにならない? 女の子らしくさぁ・・・」
「何よ、そんなに神経質になる事ないじゃない」
そう言うと彼女は、細い腕を腰に当ててすごんだ。
「あの穴の奥に化け物とか棲んでるっていうなら、話は別だけどさ。
「君たち、墓地に行くつもりなのかい?」
そこへ、すっかり彼らの勢いに飲まれていた取手が、おずおずと口を挟んだ。
「夜の森は暗くて危ないよ。その闇の奥に何か潜んでいるかわからないし・・・」
そう言うと彼は九頭見を見て、呟くように、しかしはっきりと、告げた。
「あそこに足を踏み入れるのは止めた方がいい」
「───ありがとう。ゴメンな、余計な心配させちゃったね」
「そう。君のためを思っていっているんだ」
九頭見の返答に、取手は遠慮がちに頷いた。それへ割り込んだのが、また八千穂だ。
「ありがと、取手クン。心配してくれるのはうれしいけど───」
しかし、彼女が何か言えたのはそこまでだった。取手の顔色が急変したのだ。
「うう・・・」
「取手クンッ!!」
慌てる八千穂の前で、彼は苦しげに身をかがめた。
「あ・・・頭が痛い・・・」
「先生ッ」
八千穂に飛びつかれ、瑞麗が冷静に取手の肩を支えた。
「保健室へ行くか? 生徒会に鍵を貸してもらえば校内(なか)に入れる。ほら、私の肩に手を───」
「いえ・・・大丈夫です」
「・・・・・・」
取手に拒絶され、瑞麗は鼻白んだようにも、また特に気にしていないようにも見て取れた。いっぽう、冷静でいられないのは八千穂だ。
「取手クン、どこか具合でも悪いの?」
「・・・・・・」
取手は答えなかったが、彼女は屈託のない優しさで続けた。
「具合が悪くなったら、いつでも、遠慮なくあたしたちにいってよ。保健室に連れていってあげるからさ」
「君たちでは、僕を救う事はできないよ」
「え・・・?」
意外なほど強い取手の拒絶に、八千穂は絶句した。それにも構わず、彼は続けた。
「僕の事は、ルイ先生がよく知っているから訊いてみるといい。ルイ先生でさえ、僕を救えないんだ。君たちが、救える訳がない」
「取手・・・」
困惑する瑞麗に、取手はいっそ冷ややかな声で続けた。
「構いませんよ、ルイ先生。僕の事を話して貰っても。いや、むしろ知る必要がある。僕が、先生にどんな心理療法(カウンセリング)を受けているか知れば、僕に関わろうなんて思わなくなるだろうから・・・」
「・・・・・・」
沈黙する一同をうつむいたまま見回して、取手は言った。
「じゃ、僕はもう行くよ。行かなければならない所があるんだ・・・」
「うッ、うん」
「それじゃ───」
戸惑いがちの八千穂の声に促されたように、取手は去っていった。
「取手クン・・・」
「・・・・・・」
八千穂が呟くが、残された誰も何も言わない。随分な間が合って、瑞麗が“取手も部活だろう”と八千穂を慰めた。聞くと、バスケットボール部なのだと言う。
それで思い切ったように、八千穂は瑞麗を振り返った。
「ルイ先生、取手クンは、何で、先生に心理療法(カウンセリング)を?」
「・・・そうだな。本人が、君たちに聞いてもらいたいと望むのならば聞かせてやってもいいだろう。あの墓地と取手の心の関係を」
「墓地がどうかしたんですか?」
「取手の心の闇の大半はあの墓地に由来している事がわかっている。あの子の墓地に対する過敏な反応が、それを物語っているからな。ただ、どう関係しているのか、それがまだ掴めないのさ」
八千穂が怪訝な顔をする。皆守や九頭見は、ただ次の言葉を待つばかりだ。
「人は極度の心理的圧迫により、無意識下にある心の防衛機構が働く場合がある。《防衛規制》といってな───。それにより、精神的破綻を防ぎ心の均衡を保とうとするのさ。例えば、現実にあった出来事をまるでなかったかのように振舞ったり、逆に、存在もしない物を見たといったりして。」
「・・・・・・」
「私も何度かあの子に心理療法を試みたんだが、心を覆う闇は思った以上に深い」
「そういえば、」
八千穂が、おずおずと口を挟んだ。
「取手クンが変わったのは、お姉さんが病気で亡くなってからだって聞いた事がある・・・。もしかしたら、お姉さんの事がずっと心の傷に・・・」
「私も他の先生方や取手の両親から、姉の取手さゆりの事は聞いた」
瑞麗が、大きく息をついた。
「取手の姉は、この天香學園の生徒だったらしい。ピアノがとても巧く、コンクールにも優勝するぐらいの腕を持っていたそうだ。だが、ある日、音楽室で女友達とふざけていた時にたまたまピアノの脚が折れて、その下敷きに・・・。その事故の後遺症で、以前のように両手の指が使えなくなったとされている」
「そんな・・・」
八千穂が青ざめ、慌てたように九頭見を振り返った。しかし、九頭見も何も言えなかった。
───では、あの怪談の一部は、事実だったのか。ピアノの下敷きになり死んだ女生徒が、ピアノを弾くための指を求めて彷徨っているというのは・・・
「だが、真実はそうではない」
「え?」
瑞麗の一言に、八千穂は我に返ったように目を見開いた。瑞麗が続ける。
「取手の姉は、すでに病に侵されていたそうだ。主治医がそう証言している。巧みに動く指やピアノを弾き続けるために必要な体力さえ奪うほど重い病にな」
「・・・・・・」
八千穂も、そして九頭見も皆守も、もはや一言もなかった。
「姉を崇拝していた弟がその真実を知った時の衝撃は想像に難くないさ」
「それじゃ、やっぱりお姉さんの事が・・・」
「そうだな。それが引き金になって、《防衛規制》が働いているとも考えられるし───、そうでないともいえる」
「・・・・・・・?」
八千穂と九頭見は、顔を見合わせた。───瑞麗の話の本質はどこにあるのだ?
「何故なら、あの子の記憶からは、姉の死に関する部分がごっそり抜け落ちているのさ。まるで、何か忌まわしい呪いにでもかかって封印されているかのようにね・・・」
「ちッ、また呪いかよ」
舌打ちしたのは、やはり皆守だった。瑞麗が続ける。
「姉の死の記憶が失われているにも関わらず、心が救われる事がない。一体、何かあの子をそうさせているのか・・・」
「・・・・・・」
黙り込む皆守とは反対に、八千穂が勢い込んで瑞麗に言った。
「でも、墓地に関係する何かが、取手クンの心の傷になっているのなら、それを解く鍵は墓地にあるのかも・・・。怪しげな穴もあったし」
「穴? そういや、さっきもそんなような事いっていたな?」
「昨日の夜、墓地の墓石の下に人が通れそうな穴を見つけたんです。暗くてよく中は見えなかったけど・・・」
「穴か・・・。私が探した時はそのようなものは見つからなかったが・・・」
もはや、話しているのは瑞麗と八千穂のふたりだけだ。
「もういかにも怪しいって感じの穴で───。もし、取手クンの失われた記憶を取り戻す鍵がどこかにあるとしたら、絶対、あの穴が怪しい気がするなァ・・・。あたしの勘って、結構当たるし」
そう言って八千穂は、不意に九頭見の方を振り返った。
「あたしたちで、取手クンの力になってあげよッ? ね?」
しかし、九頭見の表情は冴えなかった。
「それって、陽気なお世話って言うんじゃねェ・・・?」
「それをいうなら『大きなお世話』だ」
九頭見の一言にツッコんで、皆守は続けた。
「っていうか、大きなお世話か、余計なお世話か、どっちかにしろ。───まァいずれにせよ、九頭見の言うとおりだがな」
「そりゃ、そう簡単に見つかるとは思ってないけどさ、」
困ったように八千穂が反論する。
「でも、知っちゃった以上、放っておけないじゃない」
「俺は、お前の勘だけで振り回されるなんてゴメンだからな」
「皆守クン・・・」
意外なほど厳しい言葉にたじろぐ八千穂を、皆守はさらに突っぱねた。
「それに、取手(あいつ)の問題は、俺たちがどうしようと、あいつ自身でしか解決できないさ。取手の過去に何があろうがどんな傷を抱えてようが、他人には所詮、関係ない話だ。心の傷なんてのは、誰にだってある。別に取手だけの問題じゃない。そんなの誰の力も借りずに自分の力で乗り越えていくべき事だろ?」
「ちょっと待てよ。そこまで突き放す事ねェだろう!?」
声を荒げた九頭見を、皆守は一瞥した。 
「ふんッ。おやさしいこったな」
「・・・・・・!」
「それじゃ、聞くが───、お前は、取手のような人間をこの先もいちいち助けていくつもりなのかよ? そんな事はできないだろ? だったら、余計なクビを突っ込まない事だ」
「それは納得できないね! 彼が『どうしても嫌だ』って言うんならそうするさ。けど何かできるかも知れない。彼が気づいていない方法があるかも知れない。俺はな、見て見ぬふりってのが大嫌いなんだッ」
「これだけいってもわからないとはな。取手の事は放っておけ」
「何でそんな薄情な事いうのッ?」
角を突き合わせて言い争う二人を、止めに入ったのは八千穂だった。
「クラスは違うけど、同じ學園の友達じゃないかッ」
「俺は嫌いなんだよ・・・」
皆守が舌打ちする。
「悲劇の主人公ぶる奴も、偽善者ぶってる奴もな」
「なんだと・・・?」
皆守の一言に、九頭見が歯がみした。同様に、八千穂も皆守に食ってかかった。
「皆守クンが行かなくても、あたしたちは行くよッ」
そこへ不意に、瑞麗が穏やかに声をかけた。
「私は、全能でもないし、神の癒し手を持っている訳でもない。自分が誰のどんな悩みでも取り除いてあげられるとは思ってもいない」
「・・・・・・」
思いがけない瑞麗の言葉に、さしもの皆守も黙り込んだ。彼女は続けた。
「だから、思うのさ。同じ學園の生徒である君たちになら、あの子も私に話してくれない事を話してくれるかもしれない。閉ざされた扉を開くための鍵は案外、近くに転がっているのかもしれない───とな」
「ルイ先生・・・」
その言葉に背を押されたように、八千穂はしっかりと皆守へと向き直った。その姿勢に、彼が舌打ちする。
「───そう思うのなら、勝手にやれ。ただし、俺を巻き込むな」
「皆守クンッ」
「じゃあな」
それ以上は何も言わず、皆守はふいと踵を返して去っていった。
「あッ・・・」
「・・・・・・」
手を伸ばしかけた八千穂と、黙したままの九頭見は、しばらくの間そのままだった。
「あんな皆守クン、初めて見た・・・。取手クンの事、保健室仲間だっていってたのに、どうしたんだろ・・・?」
不安そうに呟いた八千穂だったが、彼女の性分らしく、肩をそびやかして気分を切り替えた。
「まァ、いっか。無理強いしても仕方ないし。それに、九頭見クンさえ来てくれれば心強いしねッ」
「私は、君たちが墓地を調べている間、《生徒会》や教師を引き留めておこう」
意外にも、瑞麗もそう言った。
「気をつけて、行くんだ。くれぐれも無理はするんじゃない」
「は〜いッ」
元気よく答える八千穂の傍らで、九頭見は、別のことを考えていた。


■天香學園・男子寮 夕刻 ─── 九頭見の個室

『───メールが届きました』
机に放り出していたH.A.N.Tから、メール着信を知らせる音がした。
取りあげて見ると、送信者は意外な相手だった。

 >Date: 2004/09/22:JST
 >From : 皆守甲太郎
 >Subject: 墓地へ

「・・・・・・」
九頭見は黙ってキーボードを叩き、メールを開いた。皆守の用件は簡単だった。

 >> さっきは悪かったな。
 >> あんな風にいうつもりはなかったんだが。
 >> 寮に向かいながら、いろいろ考えてみたが
 >> 確かに、八千穂のいう事も一理あるかもしれない。
 >> 墓地に行くなら、俺も一緒に行くから誘ってくれ。
 >> 用件はそれだけだ。

「あいつ・・・」
無愛想な文章に、九頭見はクスッと笑った。それからふと、改めてメールのヘッダー部分に目をやった。
「・・・・・・」
九頭見はしばらくの間、H.A.N.Tの画面を睨んでいたが、ほどなくしてまた装備を整える作業に戻った。
今度こそ、ある装備を持って行く決心ができていた。


■天香學園敷地内・墓地  ─── 深夜

例の穴からロープを下ろし、慣れた動作で九頭見が降下した先は、思いがけないほど広大な空間だった。ぱっと見、大きな体育館ほどもあるだろうか。入り口からは想像もできない規模だ。
「九頭見ク〜ン」
圧倒的なその景観についつい連れがいたことを忘れ、注意深く周囲を見回していると、はるか頭上から不安そうな八千穂の声がした。
「ちゃんとロープが揺れないように押さえといてよ? 手を離したら泣いちゃうからッ」
「はいは〜い。しっかり押さえてるって」
苦笑しながら九頭見が答えると、それを察した八千穂が不平を言った。
「何、笑ってるのよ〜。本気に本気なんだからねッ」
「ったく、うるさい女だな」
その後ろにいるらしい皆守の声が、ぶっきらぼうに彼女を急かす。
「いいから早く降りろッ」
「きゃッ、ちょっと揺らさないでよッ」
「大丈夫だ、下を見ずに一気に行け」
「きゃッ、ちょッ、ちょっとッ」
言い返す間もなかったか、八千穂の声はすぐに悲鳴に変わった。
「きゃァァァァァァ───!!」
「─────ッ!?」
その黄色い声があまりにただならなかったので、九頭見は思わず飛び出して彼女の着地をサポートした。だが完全に支えるには一瞬遅く、彼女は九頭見の腕をすりぬけるようにして派手に着地し、そのまま崩れるようにロープを離してしりもちをついた。
「痛たたた・・・」
「おッ? どうやら、下まで降りられたようだな」
顔をしかめる八千穂の頭上に、少しも悪びれた様子のない皆守の声が降ってくる。
「どけ、八千穂。そこにいると危ないぞ?」
そんな警告があったかと思うと、皆守はさほど苦もなく、ロープを滑り降りてきた。
「よ───っと。・・・あ〜、ダルい」
そう言って伸びをしつつも、皆守も興味深そうに周囲を見回す。
「ほう・・・。墓地の下に、こんな場所があったとはな・・・。何かの遺跡か何かか?」
「それっぽいね・・・」
九頭見がそう答えたが、冷静な男生徒ふたりにやっと立ち上がった八千穂が噛みついた。
「もうッ、皆守クンッ!! ロープ揺らすなんてヒドイじゃないッ!! 落ちて骨でも折ったらどうするのよッ!!」
「そうなれば、九頭見が受け止めてくれんだろ? なァ、九頭見?」
「まァね〜。こう見えても、鍛えてあるんでね───。もう一回チャンスもらえるなら。どう?」
「お前を受け止められたら嬉しいとさ」
「・・・・・」
軽く受け流されて、膨れっ面をする八千穂である。
「さてっと、」
仕切り直したのは、皆守だった。
「それじゃ、わざわざロープまで使って降りてきたんだ。取手の過去とこの《墓》がどういう関わりを持つのか調べるとしようぜ。九頭見を先頭に、俺と八千穂は後ろから並んで行こう」
「───って、俺、カナリア!?」
次に膨れっ面をしたのは九頭見だった。昔、鉱山などで、酸欠や有毒ガスを感知するために鳥カゴに入れたカナリアを持っていったのだ。カナリアが死ぬと、人間はそれを警告として逃げる、という寸法だ。
それには構わず、皆守が続ける。
「八千穂、九頭見の傍を離れるなよ? この雰囲気だ。どんな罠や化け物が待ち構えていても不思議じゃない」
「うッ、うんッ、わかった。念のため、テニスラケットを持ってきて良かったわ」
「お前、そのラケットで戦うつもりかよ?」
「もちろんじゃないッ」
唖然とする皆守にそう答えるや、彼女は、呆気にとられる男生徒ふたりの前ですらりと愛用のラケットを抜いた。
「このあたしのスマッシュで───」
と、サーブの姿勢を取り、
「えいッ!!」
勢いよくラケットを振った。風切り音がむなしく響いた。
「・・・・・」
「さッ、じゃ、はりきって行きましょッ!!」
朗らかに振り返る八千穂に聞こえないように、皆守がつぶやいた。
「やっぱり、来るんじゃなかったぜ・・・」
「Yes, indeed.」(まったくだ)
九頭見も、小さくそう答えた。

───遺跡は、不思議な構造をしていた。
日本の歴史的建造物には、石造りのものは少ない。そういった点では、壁などに使われている石の材質は、エジプトのそれに似ていた。しかし、この遺跡に置かれている門は、どうみても神社にある鳥居だ。
ところどころ崩れてはいるが、探査が困難になるほどではない。中央には大きな円が描かれ、しかし1個所を除いて深い溝が掘られている。その構図は、鍵穴を模したと思えないでもない。
ぐるりと見て回ったが、この《大広間》から先に進めるとしたら、降りてきたロープのちょうど後ろにある扉、ひとつだけのようだった。
「───じゃ、行ってみますか?」
九頭見が促し、その扉を開いた。


■天への坂───

扉を開けるや、狭く長く、埃っぽい階段が上へと続いていた。奥の方は暗くて様子が分からない。一歩一歩踏みしめて登り、慣れぬ段差に足が疲れる頃、次の間についた。
奥に、蝶のような虫が舞っている。近づいていくと、人間の気配を察した虫は消え、後には紙片が一枚、残されていた。メモのようだ。
九頭見はそれに触れず、ただH.A.N.Tのカメラで接写するにとどめた。古いものだと、崩れて消えてしまう可能性もあるし、何が付着しているかも分からない。
『───H.A.N.Tに情報を記憶しました』
読んでみると、先にこの遺跡を探査したとおぼしき人間が残したメモだった。江見睡院、という名がある。
「これって、ここを探検した人が書いたのかな」
H.A.N.Tの画面を覗き込みながら、八千穂が呟いた。
「だろうな」
答えたのは、皆守だった。
警告か、誘(いざな)いか───。そのメモの真意を推し量るより先に、九頭見は顔を上げた。
「行こう」
短く言って、彼は扉を押し開けた。

■神代七世の間───

『別区画に、移動しました』
H.A.N.Tの声がするかしないかのうちに、八千穂が周囲を指して喚声をあげた。
「ねェねェ、みてみて。何か飾ってあるよ」
見ると、回廊の両脇に土偶らしきものが飾られている。左に男神、右に女神と、対になるものだ。
「あ〜・・・、“縄文のヴィーナス”かぁ・・・」
頷いたのは、九頭見だった。数えてみると五対ある。豊満な女神像の方は写真などで見た事があるが、男神の土偶は九頭見にとっては珍しい。興味深く観察していると、皆守が声をかけてきた。
「おい、ここのやつだけ何か違うぜ」
「・・・え?」
振り返ると、最後の女神像が欠けていた。それだけならよくある事例なのだろうが、不審なのは、欠けた部分が見当たらないことだ。風化したにしても、痕跡すらない。
「・・・・・・」
九頭見はふいに暗視ゴーグルを下ろし、それを通して回廊をチラッと覗き、笑った。
「完成されたものをあえて壊す・・・よくある封印の手法だね」
「・・・・・・?」
きょとんとする八千穂に答えることもせず、九頭見は周囲を見回した。
「・・・と、すると、《鍵》になるアイテムはどこか近くにある、と」
それは、ヘラクレイオン遺跡で学んだセオリーだった。迷うことなく、九頭見は続きの間に足を踏み入れた。
「───あれかな?」
広間の中央に、箱らしきものが3つ。
念のために、広間にあったふたつの扉を試したが、どちらもビクともしない。そこで九頭見はとりあえず、もっとも手前の箱に歩み寄った。
箱は、なんなく開いた。中には確かに、《鍵》があった。───神像と同素材の粘土だ。
それを取り上げた時、彼らのものではないうめき声が広間に響いた。
「ちッ・・・。何か嫌な予感がするぜ」
皆守が舌打ちした直後、広間の奥の《棺》が音を立てて倒れた。
「────ッ!!」
「わわッ、何アレ!」
慌てふためく八千穂を止めながら、皆守が呟いた。
「黙って通してくれる・・・って雰囲気じゃないな」
「───ごもっとも」
九頭見はすばやく《鍵》をポケットにねじ込むと、手慣れたアクションでキャリングバッグを開いた。
現れる、鋼の銃身。───ヘッケラー&コック,MP5A4。
「Hold it there!」(そこを動くな!!)
そう叫ぶや、不気味に両手を上げて迫り来る仮面のミイラに向けて、九頭見はMP5A4の引き金を引いた。乾いた銃声が広間にこだました。
《箱》を楯にして一体を仕留め、わずかに後退(バックステップ)してさらにもう一体を銃撃。そして、三体め。
「(こいつ・・・ただのサバゲー野郎じゃねェな・・・)」
その九頭見の見事な射撃ぶりに、皆守は言葉には出さずにそう呟いていた。
───TVでときおり見かけるサバイバルゲームの初心者に見られがちな、銃だけを突き出して自身は腰が引けている、という姿勢ではないからだ。銃口もブレない。どちらかというと、同じTVの映像でいえば、特殊部隊の突入姿勢の方がよほど九頭見のそれに似ている。
そう思っているうちに、銃声が止んだ。
「消えちゃった・・・」
ぼう然とした八千穂の声で、皆守はそれ以上考えるのをやめた。
「文字通り、『アキレスの踵(かかと)』だったか・・・」
九頭見がゴーグルをあげながら呟いている。
───九頭見はただ、足止めをするためにミイラたちの足首を狙ったにすぎなかった。しかし、オレンジの包帯が巻かれたそこは、まごうかたなきミイラたちの《急所》だったようだ。3体のミイラは、塵のように消えてしまった。
「───おい、何してんだよ?」
つかつかと奥の壁に並ぶ《棺》に歩み寄った九頭見に、皆守は慌てて声をかけた。
奥の壁には、左右対称に5基の《棺》が並んでいる。そのうち左手の3基は蓋が開いているが、さらに奥の2基は沈黙したままだ。
九頭見は、その2基を眺めながら低い声で呟いた。
「・・・3体しかいなかったよね───」
「うッ、うん・・・」
頷く八千穂に、九頭見はなぜか暗い声で呟いた。
「助かったけど・・・、こっちのは、だいぶ前に死んじゃってるんだ・・・」
「・・・・・・」
皆守も、八千穂も言葉がない。
ややあって、九頭見はきっぱりと振り返った。
「行こう。たぶんこれが《鍵》だ」

九頭見の手腕は、遺物の復元においてもまた手慣れていた。
同型の女神像から型を取り、それを元に最後の女神の欠けた部分を作り、破片をなんども合わせてみながら、慎重に細部を整えていく。
ふたつがピタリと一致した時には、誰が聞いても合致したとわかる音がしたほどだった。
ほどなくして、どこかで鍵が開くような重々しい音がした。
「OKッ」
九頭見は、砂埃まみれの顔でふたりを振り返り、そう笑った。


■国土の間───

次の《間》は、短い廊下の奥に広間が続いていた。それまでどおり先頭を歩いていた九頭見は、その広間に足を踏み入れようとして、ちょん、とその足を空中で止めた。
「・・・どしたの?」
急に立ち止まった九頭見にぶつかりそうになって驚く八千穂を振り返り、ニッと笑う。
「・・・ちょっと、ココで待っててくれる?」
言うなり九頭見は、両手で天井に飛びつくと、そこへぶら下がって大きく身体を振り、反動をつけて広間の奥へと一気に飛び込んだ。果たして・・・
「─────ッ!?」
九頭見が着地するやいなや、再び不気味なうめき声が広間の奥から響いたのだ。
「───おジャマします」
着地し、屈みこんだ姿勢のまま、九頭見は不敵にそう笑った。言いながら胸のホルダーに納めたコンバットナイフを抜き、一挙動で正面のミイラの足首を薙ぎ払う。
「ウォォォォ───ッ!!」
雲散霧消するミイラと入れ替わるように壁際に陣取った九頭見は、すでにナイフを腰に納め、サブマシンガンを構えてセイフティ(安全装置)をはずしている。続けざまに奥の2体へと銃弾を浴びせた。一体は見たことのない水色の化け物だったが、のんびり見ているヒマはない。どうせH.A.N.Tが分析しているだろう。
その化け物が頭に乗せている重そうな水槽がハジけ飛び、そして今や見慣れたミイラの足首がフッ飛ばされるまでに、いくらもかからなかった。
『敵影消滅───。安全領域に、入りました』
「終わったよ───」
サブマシンガンを構えたままの九頭見にそう呼ばれて、皆守はかたまっている八千穂を広間へと押し込みながら、小さくぼやいた。
「ッたく・・・物騒な野郎だぜ」


■国生みの埠頭───

「うわあ、何コレ!」
唖然とするような光景に、声を上げたのは八千穂だった。
一面の、しかも無数の手のひらなのだ。───大仏などのそれを思わせる巨大な手が何本も、まるで林の梢のように並んでいる。
「向こう側に渡るには、飛び移るしかなさそうだな」
暗闇を透かし見ながら、皆守が面倒そうにつぶやいた。
「これ・・・落ちたら、どうなってるんだろ?」
九頭見が下を覗きながらも、あまり不安そうには聞こえない声でそう言うが、誰も答えない。
困惑するものの、進むしかない。3人は身軽に、しかし慎重に深いギャップを飛び越えながら、少しずつ奥へと進んでいった。
途中で足を止めたのは、八千穂だった。
「あれ? 右の方に何か見えない?」
「え、どこ? ───って、ちょっと八千穂!?」
九頭見の声が、すぐに悲鳴に変わった。狭い足場の上で、八千穂に押される形でバランスを崩したのだ。
「────ッ!?」
慌てた皆守が手を伸ばしたが───遅かった上に、被害が拡大した。


■搬入路───

「いたたた・・・」
最初に聞こえたのは、八千穂のぼやきだった。苦笑するように、彼女は続けた。
「今度は一緒に落ちちゃったね」
「ッたく・・・大丈夫かよ」
皆守が、頭を押さえながら舌打ちする。
「あ〜、びっくりした。二人とも大丈夫?」
八千穂が、下敷きにしている九頭見から退きつつ、屈託なく訊ねた。つぶれている九頭見をチラと見て、皆守が嘆息する。
「まァ、お前と違って運動神経がいいからな」
「むッ! これでも一応、テニス部のエースなんだぞ! 皆守クンこそ、何で帰宅部なのさ」
「面倒臭いから」
「もォ〜、勿体ないなァ」
「はいは〜い、二人とも行きますよ〜」
ようやく立ち上がった九頭見が、団体旅行の添乗員さながらにそう促した。
「とは言ったものの・・・」
軽く装備を整えながら、九頭見がぼやく。
「こっちの扉は外から施錠してあるみたいだし・・・どこから出るんだろ?」
そう独り言を言いながら、もう一方の扉を開いてみた時だ。
「ギャキーッ!!」
足を踏み入れるや、獣の鳴き声が響いた。日本に生息するにしては巨大過ぎる蝙蝠と、そしてあのミイラがどっと襲いかかってきた。
「チッ────!!」
すかさず、九頭見が構えていたサブマシンガンを連射する。
それ以上驚く暇もなく、短い銃声が数度、響いただけで、資材庫とおぼしき小部屋は鎮圧された。九頭見がなぜか困ったように扉を閉める。
「こっちじゃなかったか───。すいませ〜ん、間違えました〜」
「・・・撃ってから言うなよ・・・」
皆守は、今度こそがっくりとうなだれた。


 ───その後も、彼らはほぼ順調に奥へと進んだ。
 一度、敵の弱点をつかんだ九頭見は、あきれるほど見事に相手を仕留めていった。数が増えようが不意をつかれようがお構いなしだ。
 テニスラケットを握りしめた八千穂だけでなく、ポケットに両手を突っ込んだままの皆守もまた、ただただ、それを見物するだけだった。しかし・・・


■神官通路─── 奥

「ふん・・・随分と物々しい扉だな」
明らかにこれまでとは違う、コブラを思わせる大蛇の紋様が描かれた扉の前で、皆守はつまらなそうに鼻を鳴らした。八千穂が呟く。
「この向こうに・・・何かいるのかな・・・」
「・・・・・・」
が、それには皆守も答えようがない。その横で、九頭見がポケットに押し込んでいた《秘宝》───この最奥の扉の《鍵》を取り出した。
「Are you ready?」(用意できてる?)
「うッ───うん」
八千穂が覚悟を決めたように、九頭見の言葉に頷いた。

■化人創生の間───

「・・・・・・」
扉の向こうは、驚くほど巨大な空間だった。暗く、だだっ広く、何もない───かに見えた。
どこかで、くぐもった声がする。
「九頭見クン、人が・・・」
「・・・・・・」
その、声の主とおぼしき人影が、暗闇の奥から彼らの前に姿を見せた。
異様な覆面で顔を隠した、細身の男だ。
「《墓》から出て行け・・・」
「おかまいなく」
九頭見は、あっさりと相手にそう言った。
「この奥で、人と会う約束をしてるんでね。───用が済んだら、出て行くよ」
「・・・・・・」
覆面の男は、沈黙した。
しかし、彼らはその声に聞き覚えがあった。
「その声、どこかで・・・」
八千穂がわずかに、怯えたように身をすくめる。それを受けて、皆守がわずかに目を見開いた。
「取手だ・・・」
「え・・・ッ?」
八千穂が息を飲む。
そう、顔は見えなくとも、彼らはその覆面の男生徒の姿に見覚えがあった。長身をかがめ、奇妙なほど長い腕をだらりと垂らした、その姿に。
「取手クンッ。どうしてキミがこんなところに・・・」
一歩ふみだしたのは、八千穂だった。
「それにその格好は?」
───眼も口も革の覆面で隠しつつ、細身だがバスケで鍛えられた身体に、まるでそれを封印するかのように幾重もの革ベルトを巻いている。
その取手は、意外なことを言った。
「この《墓》を侵す者を処分する───、それが《生徒会執行委員》たる僕の役目」
「執行委員って、まさか取手クンが?」
八千穂が驚いて声を大きくし、その傍らで、皆守がただじっと取手を睨んでいる。八千穂が続けた。
「あたしたちは、キミを助けるためにこの墓地の地下に───」
「僕を助けに?」
「そうだよッ」
なぜか不思議そうに問い返す取手に、八千穂はなおも勢い込んで続けた。
「キミが苦しんでいるのはこの墓地が何か関係しているはずだ───って、そう、ルイ先生がいってたから・・・」
「だから?」
不意に取手は、まるで興味のなさそうな声でそう遮った。
「え・・・?」
困惑した八千穂が、言葉を切る。それへ、取手はなおも、いつもと変わらぬ声で訊ねた。
「君たちが、僕の魂を救ってくれるとでもいうのかい? この呪われた學園から救い出してくれるとでも?」
「Yes, I hope I can be of some help to you. ───君の助けになりたいんだ」
自分で同時通訳してから、九頭見はもう一言つけくわえた。
「 I cannot help doing it. ───そうせずにはいられないもんでね」
「・・・情熱の炎は絶望の闇を照らす事はできない」
「───明けない夜はないとも言うけどね」
それでも首を振って拒絶する取手に、今度は八千穂が詰め寄った。
「取手クン。今からでも遅くないよ。あたしたちと一緒にここを出て───」
しかし取手は、その八千穂の言葉をも遮った。
「・・・もう手遅れだよ」
「え・・・?」
「僕は僕の大切な宝(もの)を差し出し、それと引き換えに《呪われし力》を授かった。この───神の両手を」
「神の両手・・・って、取手クン、君は一体・・・」
戸惑う八千穂に、取手は両手をあげ、その手のひらにじっと視線を落とした。
「僕の《力》は、この両手から相手の精氣を奪い取る事ができる。そう───まるで、砂漠の砂が水を吸い取るように」
「そんな事・・・」
ついに青ざめる八千穂と入れ替わるように、皆守がすっと進み出た。
「音楽室に倒れていた女子はお前の仕業か?」
「そうだよ」
あっさりと認めると、取手は今度は夢見るように呟いた。
「彼女が悪いんだ。あんなに綺麗な指をしているから・・・」
「指・・・?」
九頭見が呟くと、取手はさらに、遠くを見上げながら、言った。
「・・・姉さんがいったんだ。あの子の指が欲しい───って」
「取手クン、ダメだよッ、そんな事しちゃッ!!」
咄嗟にそう叫んだのは、八千穂だった。
「そんな人を傷つけるような───」
「それに───、そんな事をして、君は満足なのか!? 良心がいたむッて事はないのかよ!?」
九頭見が叫ぶと、取手はうっとりと自分の手を見つめた。
「僕は、この《力》を授かった時に、心を解放された。今は、とても、すがすがしい気分なんだ」
「・・・・・・」
「ははははッ」
沈黙する彼らに満足したかのように、取手は乾いた笑い声をたてた。
しかし、その彼へ、八千穂が意外な事を言った。
「でも・・・・・・失くしたものは君自身の心だけじゃないはずだよね?」
「何だって?」
「キミは、失う前には覚えていたはずだよ。お姉さんの温もりや、やさしい微笑みを」
「・・・・・・」
八千穂は、じっと取手を見据えて、はっきりと続けた。
「他にもあるでしょ? 失くしてしまった大切なものが・・・。キミは,それが自分にとってかけがえのない宝だってわかってる。だからキミはそんなに───」
そこで、八千穂は息をつき、泣きそうな顔になった。
「そんなに・・・、苦しんでいるんじゃないの?」
「・・・・・・」
「取手クンッ!!」
なおもいいつのる八千穂へ、取手は、ぼんやりと言い返した。
「何をいっているんだ? 姉さんは、死んでいないよ」
「え・・・・・・?」
「姉さんは、いつだって僕を見守ってくれている」
「取手クン・・・・・・」
息を飲む八千穂に、取手は、呟くように言った。
「もう戻れないんだよ。もう戻れないんだ・・・。風がどんな音を立ててそよいでいたのか───、水がどんな音を立ててせせらいでいたのか───、今の僕には、もう何の旋律も聴こえない。全て、あの日に失ってしまった・・・」
「・・・・・・」
唇を噛む3人に、取手は、意を決したように宣告した。
「・・・無駄話は終わりだよ。ここが君たちの墓になる。安らかに眠るがいい───」
「───本気か?」
九頭見が唸るのを待っていたように、敵意をむき出しにした蝙蝠たちが、忽然と現れた。
不気味な羽音と、鳴き声がいくつも響き渡る。
「・・・聞くだけ無駄みたいだな。───二人とも、壁に背中つけて!」
彼は皆守と八千穂にそう指示するなり、サブマシンガンを構えた。
「そのまま右に───、止まるな、走れ!!」
だっと二人が走り出すのを援護するように、九頭見は蝙蝠の群れめがけて乱射した。あっという間に数匹がはじけ飛ぶ。その隙に彼はマガジン(弾倉)を片手に落とし、それをパウチにねじ込むと、新たな弾倉を装填した。
取手が長身を丸め、あたかもバウンドするバスケットボールのように回転しながらこちらへと近づいてくる。
「Forgive me!」
九頭見はそう叫ぶと、やおらそれに向けて発砲した。鈍い銃声が響いた。
「───うッ、ウソッ!?」
思わず足を止め、青ざめたのは、八千穂だった。
しかし、くぐもった銃声は続いている。容赦のない発砲が続いているのだ。
「くッ───!!」
突然、取手は両手をこちらへと向けた。その手のひらには、エジプトの護符にあるような《眼》が描かれている。
その瞬間、異様な気配が渦巻くと同時に、銃声が途切れた。
「うぁッ───!!」
「九頭見ッ───!?」
よろめく九頭見を目にした皆守は、思わず声をあげた。取手の言う『神の両手』の《呪われし力》が、九頭見を襲ったのがわかった。しかし───
「・・・I won't give up───!!」
九頭見はそんな声を絞り出すなり、再度、愛銃を構えた。
「 It's final !!」
立ちはだかり、両手を突き出したままの取手に向けて、自動(オート)で引き金を引いた。
「─────!!」

銃弾を浴びて取手が倒れると同時に、八千穂が泣き声をあげて九頭見に詰め寄った。
「───九頭見クン!! なんでそんなコト───!!」
「・・・・・・」
しかし、九頭見は答えない。ただ黙って、サブマシンガンの弾倉を外している。それを見た八千穂は、おろおろしながら取手に向かって叫んだ。
「とッ───、取手クン!!」
八千穂と同様に彼に駆け寄った皆守だったが、ふと、何かを踏んだ感触に、足下を見た。
「・・・・・・?」
皆守は、小さなそれを拾い上げた。グニャリとした感触で予想したとおり、ゴム製の、1cmもない小さなボールだった。
「こいつは・・・?」
「実弾じゃないよ」
九頭見は、なぜかぶっきらぼうにそう言った。
「───生きている人を撃ち抜く弾なんて持ってない」
「え・・・」
戸惑う八千穂へ、九頭見は銃身から抜き取った一発の弾丸をほうって投げた。八千穂があたふたと手をばたつかせてそれを受け止める。
それに構わず、九頭見は低い声で彼らに言った。
「・・・アメリカで警察官用に開発された、身柄確保用のゴム弾だよ。痛いだけで、怪我はしないさ。───これは、俺の私物」
「・・・・・・」
これこそ、九頭見が《ロゼッタ協会》から送られた装備以外に、《遺跡》に持ち込もうと決意した特殊装備だった。
おっかなびっくり銃弾を手のひらに乗せた八千穂が振り返る。
「じゃ・・・取手クンは・・・?」
───九頭見の言ったとおり、取手が身じろぎする気配がする。
しかし、その声は、苦悶の声だった。
「ううッ・・・。かッ・・・、身体がッ・・・!!」
「取手クン!?」
八千穂の声が、再び悲鳴に変わった。
「─────!!」
「なッ、何ッ!? 取手クンの身体から《黒い砂》みたいなものが・・・・・・」
「・・・・・・」
皆守が、アロマパイプを噛むようにしてそれを睨む。
「壁に吸い込まれていくよッ!?」
八千穂が言ったとおり、倒れ込んだ取手の身体───全身から、微細な黒い砂のようなものがこぼれ落ち、這い出し、まるでそれ全体が意思を持った生き物のように床を這い、広間の壁へジワジワと昇ってゆくのだ。
「おそらく、これが取手に取り憑いて呪いをかけていた奴だ」
そう言った皆守は、鋭い声で叫んだ。
「気を付けろ。今度は、俺たちを狙ってくるぞッ!!」
「チッ───!!」
その声を合図に、九頭見が再びサブマシンガンを構えた。音を立てて、新たなマガジン(弾倉)を装填する。今度は実弾だ。
いっぽう、取手の身体から抜けた《黒い砂》は天井に凝って、まったく新たなる《もの》の形をつくっていった。H.A.N.Tがアラート音とともに叫ぶ。
『警告。未確認のプラズマ波発生を確認───』
巨大な影は、天井に逆さまに張り付いていたが、異様な叫び声とともに地響きを立てて床へと降りてきた。
『天地開闢(てんちかいびゃく)───!』
その《もの》は、そう叫んだようにも聞こえた。人面四つ足の獣の頭上に、女と見まごう巨大な《顔》を頂いている。その、四つ足で立つ獣の《顔》が叫んだ。
『《墓》を荒らす者は誰じゃ───!!』
その声とともに、巨大な蜘蛛が《それ》を守るように現れた。シャアッという不気味な蟲の鳴き声がこだまする。
九頭見はとっさに皆守に目配せした。まずは、倒れたまま動かない取手を避難させなければ。
彼はアサルトベストから、ガス・ハンドグレネードを取り出した。ピンを抜く。
「───The Show must Go on !」
危険な光を瞳にたたえてそう叫ぶなり、九頭見は見事なアンダースローで、巨大な蜘蛛たちの中央を狙って手榴弾(ハンドグレネード)を投げた。
爆発音とともに、4匹の蜘蛛は一撃で消え失せた。それよりも早く、九頭見が叫ぶ。
「・・・皆守!!」
「───ッたく・・・」
その隙に彼は皆守とともに、気を失った取手の元へ駆け寄った。ふたりで両脇からその長身を抱え上げ、半ば引きずるようにして最奥の壁際まで退却する。
「─────!?」
しかし、そこにも巨大な蜘蛛がいた。九頭見と、そして皆守の両手は塞がっている。どうする、と戸惑う彼らの耳に、八千穂の元気な声が響いた。
「いっくよー!!」
八千穂はすらりとラケットを構え、どこに隠し持っていたのかテニスの硬球をトスすると、華麗なスマッシュを蜘蛛達にお見舞いした。
「───えいッ!!」
ぐしゃりという鈍い音がして、あっという間に二匹が潰される。
「あ〜・・・」
それを見た皆守が、うんざりしたようにアロマパイプを垂らして呟いた。
「───対戦した他校の生徒(れんちゅう)は、『戦車砲』と呼んでるそうだ・・・」
「八千穂のスマッシュ? 怖え〜・・・」
九頭見も、取手を抱えたまま同様に呟いた。
「・・・じゃ、ザコは八千穂に任せちゃおっかな───まだ いたら、だけど」
そう言うと、九頭見は取手をそっと床に横たえた。あらためて、サブマシンガンを構える。
「───行ってくるぜッ!!」
地響きをたて、真っ直ぐ突進してくる巨大な《もの》へ、九頭見はわずかにステップして射程内へ接近すると、サブマシンガンを容赦なく連射した。
《それ》の悲鳴が響く。
『・・・妻を、妻を傷つけるなァァ───!!』
見ると、四つ足で立つ獣の《顔》が叫んでいる。妻とは、頭上に頂いた顔の方らしい。
「・・・そうか、それなら───!!」
九頭見がそちらへと狙いを変えた刹那、その頭上の《顔》がカッと目を見開き、紅い口を開いた。
「─────!?」
『コォ───ッ!!』
次の瞬間、頭上の《顔》が勢いよく、何か《氣》のようなものを突風のように吹きつけてきた。
「クッ───!!」
九頭見はそれをまともに喰らったが、たたらを踏んだだけでどうにか堪えた。
「・・・クソ、マジ9mmじゃキズもつかねェ───!」
『《墓》を荒らす者は、誰じゃ───!!』
「───実行制圧力が問題だってコトか───!!」
悪態をつきながら、九頭見はアサルトベストから再びガス・ハンドグレネードを取り出した。残りは2発しかない。
サブマシンガンを左手に構えながら、右手に持ったHGのピンを口にくわえる。
「───九頭見クン!!」
突進してくる《それ》にも構わず動かない九頭見に、八千穂がたまらず声を上げた、その瞬間だった。
《それ》のふたつめの顔が、再び紅い口をカッと開いた。
「・・・取った!」
九頭見はHGのピンを抜き、そこを狙って、投げた。
口の中に転がり込んだ小さな異物に、《それ》が一瞬目を白黒させる。───それが、最後だった。
『アギャアアァァァ───!!』
爆散する《妻》に、《それ》が断末魔の悲鳴をあげた。
既にサブマシンガンを持ち変えて射撃姿勢に移っていた九頭見だったが、《それ》の状態を認めて、ゆっくりと銃身を下ろした。
『つ・・・妻よ・・・許して・・・くれ・・・』
「・・・・・・」
《それ》は吹っ飛んだ頭からジワジワと、元の砂へと戻っていくところだった。
巨体は砂になり、砂は塵になり、目に見えない形となって、やがて消えていった。
───その後には、ただ数枚の紙片だけが残った。

九頭見はゆっくりとそこへ近づき、目を落とした。
「───楽譜(Music)?」
彼はそう呟くと、思わず膝を落として、丁寧にそれを拾い集めた。上質の紙に手書きされた、どこか上品な印象の楽譜だった。
「うう・・・」
彼の背後で、意識を取り戻したらしい取手が呻く声がする。
九頭見は、静かにそちらへと歩み寄った。
「これ・・・君の?」
そう言って、綺麗にそろえた楽譜を取手の目の前に示す。
「・・・・・・?」
「・・・『S.取手』って署名(サイン)があるけど・・・」
「・・・この楽譜は・・・」
恐る恐るそれを手に取った取手は、何かを思い出したようだった。
「そうだ・・・、これは、姉さんが僕にくれた楽譜」
その言葉に呼応するように、暗い広間にどこからともなく光が満ちた。
「・・・呼んでいる。姉さんが僕を呼んでいる・・・」
取手の青白い頬に、赤みが差したようにも見えた。
「温かい・・・。この光───。・・・この曲は・・・」

───取手はいつしか、亡き姉の言葉を思い出していた。
「かっちゃん・・・・・・、音楽と人の心は似ているの。人の想いがいつまでも失われる事がないように、音楽もまた、大切な人の心に残っていく。だから、いつまでも忘れないで。私の心も音楽も、永遠にあなたの心に生き続けるわ。私がピアノを弾けなくても、あなたの心には私の旋律が残っている。たとえ、私がいつもあなたの傍らにいないとしても、あなたの傍らには音楽がある。つらい事や───悲しい事があっても───音楽が、きっとあなたを癒してくれる。だから、あなたにこの曲を───この楽譜を贈るわ。私のあなたに対するありったけの想いを込めて」
「姉さんの・・・・・・」
「音楽がある限り、私はあなたの心に生き続ける。だから、想い出して。この曲を───。ずっと・・・・・・。忘れないで・・・・・・」
「姉さん・・・・・・」


■墓地───

「忘れていた・・・。この《呪われた力》と引き換えに、失くしていた物が何だったのか・・・」
姉の楽譜を胸に抱いた取手が静かに呟く。
「僕は、蜃気楼のような幻を見ていたのかもしれない」
「・・・・・・」
地下にいた時とは違う、ぼんやりとした、だが穏やかな口調に、八千穂がじっと耳を傾けている。
「さゆり姉さん・・・」
取手は、もう一度あの楽譜に目を落とし、悔やむように呟いた。
「僕は姉さんが死んだ事を忘れたくて───悲しみから逃げたくて、ずっと失っていた。姉さんが僕に託した大切な宝物(もの)を。」
それから彼は、しかし今度はきっぱりと顔を上げて、じっと九頭見を見据えた。
「でも、君がそれを取り戻してくれた。君は・・・何者なんだい?」
「───インディアナ・ジョーンズ」
茶目っ気たっぷりにそう言ってから、九頭見はニコッと笑って付け加えた。
「・・・みたいな真似をしてる、アヤシい奴さ。《墓荒らし(トゥームレイダー)》・・・じゃマズいから、《宝探し屋(トレジャーハンター)》」
「《宝探し屋(トレジャーハンター)》・・・。それが、君の正体かい?」
その言葉を聞いて、取手はなぜかホッとしたような顔になった。
「そうか・・・それで君は、天香學園に転校してきたんだね。この地下に眠る遺跡に隠された《秘宝(もの)》を見つけ出すために・・・」
「・・・・・・」
皆守が、自分には関係ないといいたそうにアロマに火をつけている。それに構わず、取手は穏やかに続けた。
「僕にはまだ、君の探している物が何なのかはわからない。でも、僕の《宝物》を───あの日、もう二度と取り戻せないと思っていた大切な物を君は、探し出してくれた。だから、今度は僕が君の力になるよ。君が探している《秘宝(もの)》を見つけ出すその時まで───」
そう言って、取手は九頭見に右手を差し出した。


■天香學園某所───深夜

「報告いたします」
物静かな男子生徒の声が、暗い室内に響く。
「《山》に侵入した者が・・・」
「名前は?」
それにかぶさる威圧的な男の声に、物静かな男子生徒の声は落ち着き払って答えた。
「3年C組の八千穂明日香。同C組の皆守甲太郎。そして・・・昨日、3年C組に転入してきた転校生、九頭見 洸」
「転校生・・・」
威圧的な男の声は、その言葉を噛みしめるように呟いた。
「もう《山》に入り込むとはな」
それに答えて、物静かな男子生徒の声が説明する。
「どうやら、昨夜───何者かによって、《岩戸》が聞かれていたために《山》に入り込んだようです」
「なるほど・・・ただの転校生ではないという事か」
嘆息する男の声に、妖艶な女生徒の声が続いた。
「文字通り、括弧付きの《転校生》って訳ね・・・。面白そうじゃない」
からかうような女生徒の声には構わず、物静かな男子生徒の声が男に問う。
「念のため、確保しますか?」
「・・・いや。そのままにしておけ」
威圧的な男の声は、静かにそれを抑えた。
「表立って動けば、かえって騒ぎが大きくなりかねん。それに、その《転校生》の力量もまだわからぬ・・・」
「わかりました」
物静かな男子生徒の声が消えるか消えないかのうちに、妖艶な女生徒の声が楽しそうにさえずった。
「今度の《転校生》はどこまで辿り着けるかしら?」
「・・・・・・」
「前の《転校生》は、三ヶ月しかもたなかったわ。その前は、確か、5日だったかしら?」
「議事録によると、4日となっていますよ」
物静かな男子生徒の声が訂正するのへ、妖艶な女生徒の声がウットリと答える。
「そう、随分と早くイっちゃったのねェ」
物静かな男子生徒の声が、それにも動じず静かに記録を見直す。
「過去の議事録を調べても、《墓》の奥に侵入して、生きて戻った者はいません」
それへ不満そうな吐息を漏らして、妖艶な女生徒の声が呟く。
「どこかに、もっと、強い男はいないのォ? 明晰な頭脳と不屈の精神と逞しい肉体をもった男。ああ・・・考えただけで、あたし・・・」
「・・・・・・」
沈黙する物静かな男子生徒に、威圧的な男の声が指示した。
「《墓》を犯す者は何者であろうと排除せよ。それが、この學園の法だ。その《転校生》の監視を続けろ・・・。 《生徒会》の名の下に───」


数日後───

■音楽室───四時限目

「今日は、話してある通り、ピアノを使った音楽の授業をしましょう。あら? 皆守くんは?」
室内を見回す音楽教師に、八千穂が片手をあげて答える。
「さっき、具合が悪くなったって出て行きましたけど〜」
「そう・・・残念ね。今日がピアノの授業の初日なのに。でも、具合が悪いのなら仕方ないわ。では、始めましょう。実は、今日の授業のために特別にピアノを教えてくれる講師の人を呼んであります。さァ───入って」
そして、音楽教師に促されて入ってきたのは───、他ならぬ、取手だった。
彼は、九頭見に向かって呟くように言った。
「九頭見君・・・。君に僕の演奏を聴いて欲しくて・・・、C組の授業で、ピアノを教えさせてもらえるように音楽の先生に御願いしたんだ。僕は、君に姉さんの楽譜を取り戻してもらってから、毎日、ピアノを弾くようになった。弾きながら・・・…いつも、君の事を想い出す。僕は、うまくピアノを弾けているだろうか? 僕の音楽は、天国の姉さんに届いているだろうか? 君は・・・ピアノを弾いている僕の姿を見て、どう思うだろうか? だから、君に確かめて欲しいんだ。僕にとって、あの《宝物》がどれほど価値のあるものだったのかを───。だから、聴いて欲しい。この曲を・・・」

 ───C組生徒たちの控えめな拍手を受けて、取手は、静かにピアノを弾きはじめた。亡き姉に贈られたという、あの曲を。

八千穂が、うっとりと目を閉じて聴き入っている。
「・・・・・・」
すべての呪縛から解放された取手が弾くピアノの調べに、九頭見はいつしか、遠い日を思い出していた。
───家の片隅にあった古いピアノ。今は沈黙するばかりのそれが、たえず美しい調べを奏でていた遠い日・・・。
暖かな陽射しの差し込むその部屋は、いつもピアノの音と、やわらかな歌声と、優しい笑顔にあふれていた。しかし今はもう、そのピアノを弾く者はない。そして家の中の誰一人として、あのピアノに触れようとはしない。暖炉の火が消えたような寂しさの中で、あのピアノはただ、沈黙している。
「・・・・・・」
鍵盤の上を踊る白い指。失われた旋律。そして・・・黒い、炎───。
「・・・・・・」
───取手は、姉の旋律を取り戻した。しかし九頭見が知る古いピアノは、かつての旋律を取り戻す事はできないのだ・・・


そして同じ頃、校内の《墓地》の一角で、名前のない墓碑にワイルドフラワーの花束を捧げる皆守の姿があったことを、この時、九頭見は知る由もなかった。


■音楽室───四時限目終了

「ブラヴォー ───感動したよ」
演奏を終え、教室を出て行く取手を呼び止めたのは、九頭見だった。
「あのさ、これ・・・受け取ってくれないかな」
そう言って、彼は小瓶に詰めた砂を見せた。
「大丈夫。《黒い砂》じゃないから。」
「・・・・・・」
屈託なく笑う九頭見から、そう言われて取手は恐る恐るその砂の入った小瓶を受け取った。
驚くほどきめの細かい赤褐色の砂が、小瓶を傾けるたびにサラサラと流れる。不思議そうに見つめる取手に、九頭見は言った。
「それ、サハラの砂。」
「え・・・サハラって・・・、サハラ砂漠かい?」
目を丸くする取手に頷いて、九頭見は言った。
「砂漠の砂・・・って、君、言ったよね。それに───蜃気楼を見ていた・・・って。それで・・・」

───自らを乾ききった砂漠に、そして姉の幻影を蜃気楼に例えた取手に、九頭見は照れくさそうに、パリ=ダカール・ラリーに魅せられる人々の話をした。

世界一過酷といわれるラリーのひとつ、パリ〜ダカールラリー。(通称パリダカ)
新しい年のスタートとともにフランスを出発しヨーロッパを南下、ジブラルタル海峡をフェリーで渡り、アフリカ大陸へ。
そして幾多の砂漠を越え、ゴール地であるセネガルのダカールをめざす、世界中のチャレンジャーを魅了してやまない、クロスカントリーラリーの最高峰。
競技車両は400台を超え、摂氏50度の灼熱地獄の中、4輪が、2輪が、そしてトラックが、約1万キロを3週間かけて走破する耐久戦。
それは、アフリカの大地と厳しい自然へ、人間と機械が、持てる力のすべてを出しきって闘いを挑む、サバイバルレースだ。

なぜ走る、という問いに挑戦者達は答える。───砂漠が俺を呼ぶのだ、と。“私を越えて見せろ”、と。
だから、砂しかない、生きることすら拒む大地を、彼らは駆けるのだ。報酬も見返りも望まずに。ただ自らの情熱と、誇りのために。

 Does anybody know what they are looking for? Does anybody know what they are living for? Does anybody want to take it anymore?

「・・・すごいね・・・」
ようやく息をつくようにそう言った取手に、九頭見は続けた。
「そして、完走できた者もそうでない者も、また、砂漠に戻ってくる。砂の大地を駆けるために」
「なぜ? ───あぁ、そうだったね。砂漠が呼ぶんだ・・・魅せられてしまうんだね」
「そうさ。砂漠でこそ生まれる詩もある。砂漠だからこそ生まれる芸術もある。・・・砂漠って、そういう面もあるんじゃないかな。だから、一度は行きたいとか、また行きたいと思う人も、いるんだと思うよ───」
「・・・・・・」
砂漠のただ中にいると、自分を見つめ直さざるを得ないという。そしてまた、自分を取り囲む世界のすべてを、ひしひしと感じるとも言う。この世界の美しさ、豊かさ、厳しさのすべてを。そしてそれを乗り越えて、砂漠の彼方、蜃気楼の向こうにあるゴールを目指す。ダカールは夢。ダカールは希望。美しいセネガルの海岸を駆け抜ける、《ビクトリー・ラン》と呼ばれる最終ステージが、彼らの目的地。しかし、パリを旅立った者たちのうち、いったい何台が、ここを走れるのか───
「・・・・・・」
それでも、彼らは走る。砂漠に描く、見果てぬ夢のために。蜃気楼の向こうに広がる海を目指して。

「───そんな事を、思い出したから。だから、この砂、君が持っててよ。かっちゃん・・・。・・・称賛の、花束の代わりに」
「・・・いいのかい? だって、これは君が自分で・・・」
「へへッ───。俺も、また行くことになりそうだから。いつかまた、ね───」
「そうか・・・そうだね。君なら、砂漠も蜃気楼も、越えていけるんだろうね」
小瓶を握りしめて、眩しそうにこちらを見つめる取手に、九頭見は言った。
「・・・俺も・・・戻ったりしない。ヨーロッパへは戻れない。ゴールを目指すだけさ───」


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九龍妖魔學園紀【(C)2004.2006 ATLUS CO., LTD. ALL RIGHTS RESERVED./SHOUT! DESIGNWORKS】
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ゲームの内容と一部異なる部分がありますことを、あらかじめご了承ください。

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